kon.T の 「こっそり日記」
(13)野暮用っす… (12)ベルリン通り魔事件から半月 (11)夜なべする母親たちを想う…
野暮用っす…2006-06-21 (Wed)
 野暮用で明日6月22日から当分のあいだ、「遠く」に行きます。お願い、誰も追いかけてこないで…、って、はなっから追いかけてくれる人も無し…。
 とにかく恐らくですが6月末まで、あるいは7月頭くらいまでは一切返信できないと思います。メール、掲示板に書きこまれる方はあしからず。
 しばらくの間は屋根裏を借りて…、というか屋根裏を借りてる人の部屋の中の隅っこを借りて、そこにカーテンつけて無理やり住まわせてもらいます。ふふっ、なんだか楽しそう♪
 この時期、きっと屋根裏は暑いよなー。ま、ダイエットに丁度いいや。んじゃ、さいならぁ~。
(あぁだめだ。愉快過ぎて思わず笑えてしまう!!)
kon.T

↑top ↓bottom
ベルリン通り魔事件から半月2006-06-11 (Sun)
 例のベルリン通り魔事件から半月が経とうとしている。
http://www.welt.de/data/2006/05/29/894711.html
http://kon.main.jp/dboku/data_01/welt_02.htm
 通り魔に遭うだけでも運が悪いのにそのうちの一人、しかも最初の被害者がエイズ感染者だったとは「運の悪さここに極まれり」と言ったところか。
 感染したか否かが判明するのは半年後だというが、被害者にとってのこの半年間がどれほど悲痛なものかは想像に難くない。そして事実を知らされて間もないこの二週間は生きた心地がしなかったことだろう。「窮地に一生を得た」という言葉がこれほどまでに空しく響く事件も珍しい。
 しかしもっとも辛いのは、ほかの27人の被害者よりむしろ最初の被害者であるエイズ患者の方ではなかろうか。彼は刺された直後、苦しさを押し殺して自分がエイズ感染者であると叫んだという。「もう他の人を刺さないでくれ」と。
 日常は直(ひた)隠しにしてきたはずのHIV感染事実を、公衆の面前で叫んだ彼の勇気と祈りは果たして通じるのだろうか。審判が下るまでの彼らの半年間を思うと、さすがに胸が詰まる。

↑top ↓bottom
夜なべする母親たちを想う…2006-06-10 (Sat)
1、
「夜なべ」という言葉を初めて聞いたのは中学生くらいのことだったろうか。例の「母~さんが~夜なべ~をして…♪」という童謡を聞いて、最初ボクの頭には鍋料理の仕込みに汗を流している古風な母親の姿が浮かんだ。
 しかしそのフレーズのなんと暗く物悲しいことか。火にかけた鍋の様子を見ているイメージの中の(なぜか)老婆は、ボクの中でいつしか鍋に入れてはいけないような何かを、夜な夜な煮込みつづける魔女の姿へと変貌していった。しかも不思議なことに、魔女は鍋の様子を見ながら手袋を編むというではないか。
 恐らく将来は貧乏生活を余儀なくされ、いつかは暗く寒い街の片隅で非業の死を遂げるであろうと信じていた少年時代のボクにとって、魔女が編むという手袋は自分の未来の象徴的なアイテムのような…、そんなわけの分からぬ妄想に駆られた時期があった。
 あれから15年。貧乏な生活に身をやつし、いつ物乞いをはじめようかと思案する生活が現実に始まってしまったわけだが、そんなボクでも夜なべと魔女が無縁の存在であることにはすでに気づいている。夜なべとは「夜仕事」のことで、あれは母親が息子のために夜中まで手袋を編んでくれたという話だ。夜なべをしてわが子のために何かを作る母。そこには日本的な風情が漂う。
2、
そういえば最近うちの母は夜なべで作業しているらしい。しかしうちの場合は不甲斐ない息子のためではなくボクを飛び越えて孫、すなわちボクの兄貴の子供たちのために夜なべしているという。「小学生にもなれば学校でパソコンくらい使うはず…」。そう思っていま母が孫たちのために夜なべをして組くみ上げているのはパソコン。手袋を作っていた頃とは時代がまったく違うらしい。
 主婦を対象にした母のパソコン教室も、最近は受講申し込みが殺到して多数の順番待ちが発生していると友人から伝え聞いた。世の中の母親たちが囲炉裏を前に夜なべする時代は終わり、いまはパソコンを前に内職する時代なのだ。
 今の両親の年齢になったとき、ボクはいったい何をしているだろうか。日本の母親たちの進化を思うと…、きっと30年後のボクは…、夜なべして…

↑top ↓bottom
☜ PREV / NEXT ☞