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ドイツ生活・留学関連コラム

essay
不良客「を」悩む


 日本のマクドナルド (以下マック) と違って、セルフサービスにも関わらず食べ終わったトレイを自ら戻す客の少ないドイツで、店員はテーブルの後片付けに追われる。市中心部の大規模店では、テーブルに残されたトレイを、ひたすら片付けるためだけの 「トレイ係」 という店員までいるのだ。そして世の中には、彼らを相手に静かな戦いを挑む人々がいる。



 ボクは例の如く 99セントのカプチーノを一杯だけ注文してテーブルにつき、テキストを開いて3〜4時間そのテーブルを占拠する。それは見るからに不良客に相異ない。そんなことは百も承知だが、自室で勉強できないボクはひたすらマックに通わねばならない。金を払った以上、早々に席を立つことは許されない。一度立ってしまえば、その席の占有権は消滅してしまうのだから。大嫌いなコーヒーに99セントを支払ってまで確保した席だ。最低3時間は勉強せねば損とばかりにテキストにかじりつく。これがボクの勉強法。貧乏なボクだからこそ有効な、集中学習法である。
マックはセルフサービス。食べ終わった客は、この返却棚に戻す

 しかし、注文さえしてしまえば簡単に占有権が持続するのかといえばそうではない。何時間ものあいだ席を確保し続けるためには、涙ぐましい努力が必要だ。なぜ店内の席に座ることができるのか。それは商品を注文したからだ。ではなぜ注文したら座れるのか。それは買ったものを飲み、あるいは食べるために違いない。それは同時に、買ったものをすべて飲み、食べ尽くしてしまえば、それ以上そこに座り続ける権利を失ってしまうことを意味する。商品を買い、しかもそれを如何に長くテーブルの上に残し続けるか。これは常連不良客にとって重要なテーマである。

 というのも、ボクのような不良客にとって、警戒すべき敵は前出の 「トレイ係」。トレイを所定の場所に返却せずに出て行った客の後始末をするのが本来の仕事だが、時に彼らは不良客の追い出し係に変身する。例えばボクがカプチーノ 一杯で席を陣取って一時間後、ヤツらは側にやってきて、そして尋ねる。その質問は日本風に言えば 「トレイの方、お下げしてよろしいでしょうか?(ニコッ)」 となるのだが、ドイツの店員はそんなに丁寧ではない。「終わった?」 という感じで声をかける。しかしこのような店員如きはボクの敵ではない。ゆっくり近づいてくる彼に気付いたら、おもむろにカップを口に運ぶ。この仕草だけで事は足りるのだから。

 無礼な店員になると 「終わったろ!」 と言うと同時に、既に空になったであろう紙カップを覗き込んでいる。だが実は彼らでさえ、まだまだボクの敵ではない。真に恐るべきは、一言も発せずに空カップを持ち去る 「無言君」 たち。彼らがボクの側を疾風のごとく通り抜けると、いつのまにかカップが消滅している。注文したものがテーブルの上に何かしら乗っていなくては、もはやそこに座り続けることはできない。勉強のために投資した虎の子の99セント。無駄にされてはたまらない。当然にも無言君対策が必要だ。

 しかしカプチーノを注文したボクにとって、その対策は実はあまり苦ではない。いくら無言君でも、まだ消費され切っていない商品を処分することは出来ないのだから、早い話それを飲まなければいいのだ。しかもボクはコーヒーという飲み物が大嫌い。飲まなくていいならばそれに越したことはないのだ。しかしそれだけで問題が解決するわけではない。なぜならボクにとって 「コーヒーを飲む」 という行為も、実は重要な勉強の準備となっているからだ。


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 マックでの勉強は、渡欧当初から既に2年以上続く習慣だ。始めの頃はただ 「安い」 という理由だけで注文していた。しかし買ってしまった以上、飲まずに捨てるのはもったいない。そう思って無理矢理飲むようにしていた。もともとコーヒーは大嫌いだが、嫌いな 「お勉強」 に付随する、これまた嫌いな 「コーヒー」 というのは、ボクのコーヒー嫌いを一層深刻にした。しかも一日に数軒のマックを掛け持ちするボクは、席につく度にコーヒーを飲まねばならない。単なる 「嫌い」 から 「憎しみ」 に変化するのに、大した時間はかからなかった。今やその憎々しい汁を体に注ぎ込むのが、ボクにとっては勉強開始の合図。
99セントのカプチーノ。マクドナルドで最も安い飲み物だ


 ボクは元来、勉強好きな人間ではない。そんな人間が 「さぁ、勉強しよう!」 という気になるのは簡単ではないのだ。ところが今や、コーヒーを体に流し込んだ瞬間、ボクの頭は学習モードに入る。それはまさに条件反射とでも言うべきか。今なおコーヒーを飲む度、更にコーヒーが嫌いになる。しかしコーヒーはもはや、ボクにとって勉強するための必需アイテムとなってしまった。

 そんな生活を始めて一年ほどした頃だったか、アウグスブルクに住んでいた頃ボクの体に変化が起こった。体がコーヒーを受け付けないのだ。そんな日が何日も続いたが、勉強しないわけにはいかない。仕方なくコーヒーを買うだけは買って、飲まないようにした。しかしそれでも駄目だ。目の前にコーヒーがあるだけで吐き気がする。それからというもの、ボクはしばらくの間コーヒーを絶ち、マックにも近寄らないようにした。

 ボクはマックの替わりに、街なかのカフェに入るようになった。もちろんコーヒーを飲むためではない。勉強に際して、ビールを飲むためだ。なぜならビールは、ボクがこの世で2番目に嫌いな飲み物だからに相異ない。もしコーラなどソフトドリンクを注文してしまえば、ボクはすぐさま飲み干してしまうだろう。そして席の占有権を失ってしまう。ボクが長居するためには、嫌いな飲み物を注文しなければならない。そしてこの国では、大抵コーヒーに次いで安いのがビール。カフェやレストランでは、コーラよりビールの方が100ml当たりの価格が安い。ボクにとっては打ってつけだった。

 そんな生活を一ヵ月ほど過ごして、ようやく体は元の調子に戻ったのだが、この時ボクが思い知ったのは 「コーヒーを飲み過ぎてはいけない」 こと 。確かにコーヒーは安い。しかしそれを無理に飲み続けると、今度は逆に高くつく結果となってしまうのだ。それからというもの、マックでのボクはコーヒーだけでなく、たまには他のものも注文するようになった。



 他のもの。つまりそれは ソフトドリンク であったり、あるいは ハンバーガー であったりする。しかしそのようなものを注文すれば、コーヒーと違ってたちまち平らげてしまうだろう。例えばハンバーガー。冷えてしまっては高い金を出した甲斐がない。例えばコーラ。炭酸が抜ければもはやコーラではなく、単なる糖尿病誘発剤に他ならない。結果として長時間置いておくわけにはいかず、注文から一時間以内には消費しなければならない。しかし胃袋にすべて放り込んでしまえば、やってくるのは無言君。彼を如何に撃退するか、ボクは試行錯誤する。
カップにフタがついていれば、空かどうかは外から判断できない。これに水道水を注ぎ込めばいいのだ

 もしコーラを頼んだ場合の対策。これは簡単だ。買う時、カップには必ず 「フタ」 をつけてもらう。こうすればカップの上から見ても、空か否かは判断できない。しかし無言君の真の恐ろしさは、確かめもせず いきなりカップをつかみ去るところにある。これを回避するには、フタだけでは不充分だ。空カップに 「重さ」 を加えねばならない。だからボクは勉強道具に加え、必ずペットボトルに入れた水道水を持参する。空カップに水道水を密かに注入し、フタを閉めてストローを突き刺す。これで完璧だ。さすがの無言君も、中身の存在に気付けば 「あ、失礼!」 と言って退散せざるを得ない。

 問題はハンバーガーを1個だけ注文した時だ。こいつは困る。食べてしまえば、残るのは包み紙のみ。商品を食い切ってしまったことは見るも明かである。そういう理由で、当初ハンバーガーを注文するのは極力避けていた。しかしある日のこと、ボクは他の不良客の技術を見て感心してしまった。上には上がいるものだ。考えてみれば当たり前の方法だが、当たり前であるが故になかなか気付かない。いやいや、それは素晴らしい方法だった。

 まず、ハンバーガー購入時に、カウンター側(そば)に備え付けられている「紙ナプキン」を何枚か入手しておく。ハンバーガーを食べ終わったらナプキンをハンバーガー型に器用に丸め、これをハンバーガーの包み紙で包む。なんとこれで 「不滅のハンバーガー」 の出来あがりだ。しかしこれは結構難しい。ナプキンの丸め方にはかなりの技術が必要で、事実ボクはまだこの技術を会得できないでいる。ハンバーガーを食べる度に練習してはいるのだが、どうにもハンバーガーらしく見えないのだ。ボクの修行は今なお続いている。



 それにしても、「不良客」 というのはどこにでも居るものだ。ツワモノになれば、ボクが不滅のハンバーガー職人になるべく精進しているその横で、彼らは腰かけた次の瞬間、鞄から おもむろに 不滅のハンバーガーを取り出したりする。彼らはなんと金を支払うことなく席を得てしまうのだ。更にもっと不良な客になると、人知れず空トレイを調達してきて、その上に水道水入り空カップと不滅のハンバーガーを置いている。彼のようなお方をこそ、我ら不良客の中の仙人とでも言うのだろうか。しかしボクには、さすがにそこまではできない。席を得る以上、金を一切払わないというのは反則ではないか? 何かしら代価を支払うのは、最低限のルールではないかと憤慨してしまう。

 いや・・・、ボクにそれを非難する資格など実はないのだろう。ボクとて立派 (?) な不良客。仙人とボクとの差など、優良客から見ればほとんどないに違いない。それでもボクは考える。「正しき不良客とは何か」 と。そして考え疲れた頃ようやく気付く。そんな思索が如何に不毛であるかを。ボクは苦笑し、また勉強に戻る。99セントのカプチーノに拘束され、席を立つ事を許されないボクの、それは一つの気分転換。


2004.04.09 kon.T
in Heidelberg

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