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ドイツ生活・留学関連コラム

essay
日本人と中国人のカメラ事情
 最近、日本人と中国人のイメージが変わりつつある。
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 ミュンヘンの語学学校に居た1996年、授業中こんなプリントが配られた。
 プリントには12匹のアヒルの絵が書かれていて、アヒルの衣装にはみな特徴がある。絵の下にそれぞれ答えを書き込むところがあるのだが、問題文には 「彼らは何処から来たのでしょうか」 とだけ書かれている。つまりそれぞれの特徴から、何処の国民かを当てろというのだ。例えば左下のアヒルはビヤジョッキを片手にウィンナーを食べている。腹は巨大なビールっ腹で、陽気に歌をうたっている。これは何処から来たアヒルでしょうか? と問われれば、もちろん 「バイエルン」 と答えるべきだろう。まぁ、しかしこの場合はドイツ語の問題なので Bayer (バイエルン人)と書くのが正しい。プリントには同じように、スパゲッティ(イタリア)を食べていたり、シルクハットにステッキ(イギリス)を持っていたりと、さまざまなスタイルのアヒルが描かれている。
中国人旅行者団体の写真
中国人旅行者団体は皆一様に巨大カメラを肩から下げる。これが今にち「カメラ=中国人」といわれる所以


 ところで真ん中に一匹、何やら変なアヒルがいる。朝鮮帽をかぶり、中国服を着、カメラを首からかけている。「一体これはなんだ・・・」 と思っていたら、ボクが指名された。「これは何処の国のアヒルだと思う?」 と問われ、ボクは 「中国・・・? それとも朝鮮?」 と答えたらクラス全員大笑い。彼らはみな 「これだよコレ!」 とカメラの絵を指差している。しかしボクには理解できない。最後に先生がヤレヤレといった感じで 「コレは日本人だ!」 という。驚いているボクを後目に、クラスメイトはまた爆笑している。

 しかし何故カメラを持っていれば日本人なのか、当時のボクにはさっぱり分からなかった。それで 「何故?」 と聞いたら、友人らはボクに 「君はカメラを持ってこなかったのか?!」 と聞くので 「もちろん持ってきた。しかしそれは君達も同じだろう?君は持って来なかったのか?」 と聞くと、彼らは 「もちろん持ってきた」 という。しかし彼らのイメージの中では、「いくつものカメラを首からぶら下げて歩く人種、それが日本人だ」 とされているらしいかった。彼らにとってそれは滑稽な姿で、日本人とはそういうヘンテコな奴らだと主張していた。

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 それから時が流れて6年後再び渡欧し、ボクはまたカメラを持ってきた。今回は以前のようなコンパクトカメラではなく、それは仕事で使っていたサブカメラ。ちゃんとプロも使う一眼レフカメラである。「これでボクも日本人。笑いたいやつは笑いなさい」 とカメラを肩から下げ、旅行者を気取り、ウィーンの街を歩くことにした。しかしおかしい・・・。カメラを持っているやつは日本人と思われるはずだったのに、どうやら今のボクは中国人と間違われているらしい。ボクは街を歩き、アジア人を観察した。なるほど確かに、カメラを大量にぶら下げた旅行者団はみな中国語を話しているじゃないか! どうやらここオーストリアでは 「カメラ=中国人」 ということらしい。

 さて翌々年、ハイデルベルクに住み始めてからというもの、街で旅行者に道を聞かれるのは当たり前となった。なぜならここは有名な観光都市。街は毎日、旅行者、旅行者、また旅行者である。しかしここの日本人は、それほどカメラを抱えているというイメージを受けない。逆に中国人はというと、巨大な一眼レフカメラを首から3つも4つもぶら下げている。それはどの団体も同じで、中国人は男性だけでなく女性まで、Nikon や Canon と書かれた巨大なカメラを担いでいる。最近ようやく分かってきた。ヨーロッパにおける 「カメラ=日本人」 という構図は、ここ数年で変化しているのだ。今はもはや 「カメラ=中国人」 というのが正しい見方らしい。

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 しかし何ゆえ皆、巨大なカメラを持ちたがるのだろうか。
 その昔、日本人も巨大なカメラをいくつも首から掛けて旅行していた。日本人にとってカメラは裕福さを示す象徴的アイテム。かつては夢見ながらも買うことなどできなかった高価なカメラを持つことは、当時の日本人にとって至上の喜びだったに違いない。なにしろ昭和初期にはドイツ製ライカ一台が、家一軒の価格に相当したというのだから、夢にまで見るのも理解に苦しくはない。しかし価格はしだいに下がり、戦後に入ると最高級機種でも一般人の年収程度で買えるようになった。そして2000年、Nikonのスチールカメラ最高機種であるF5は約30万円。30歳代日本人の平均月収程度となってしまった。
巨大カメラを構える中国人の写真
巨大カメラを構え、観光スポットの写真を撮りまくる中国人。かつての日本人を彷彿とさせる


 高級カメラが年収の半額程度で買えるようになると、それまで買うことのできなかった小金持ちのオジサマ達が、こぞってカメラを持ち始める。しかし彼らは 「誰も買えないからこそシンボルだった」 ということに、なかなか気付かない。海外旅行に行けば回りの人間も皆自分と同じカメラを持っている。その状況の、一体何処にステータスと呼べるものがあるというのだろうか。それでも日本人がカメラを持ちたがったのは、それが 「長年の夢」 だったからに相違ない。

 最近の中国人旅行者のカメラ好きは、かつての日本人を髣髴とさせる。毎日大量に押しかける中国人旅行者。彼らがみな写真家とは思えないし、何よりカメラを構える姿は如何にも素人。あんな持ち方で手ブレしないはずはない。高価な望遠レンズをぶら下げているのに、三脚どころか一脚すら持っていない。あれでクリアな望遠写真を撮れるはずがないではないか。つまりこれが今にちの中国人の 「カメラ = 富の象徴 = ステータス」 なのだ。それは 「写真を撮ること」 ではなく 「カメラを持つこと」 それ自体に意義がある。確かに Nikon や Canon の上位機種は、中国人にとってはまだまだ安い買い物ではないはず。そのカメラを一台でも多く肩から掛けて歩くこと、それは今の中国人にとってこの上なく誇らしいことなのだ。

 しかし高級機種でさえ月収程度で買えるようになった日本人にとって、もはやカメラは富のシンボルの座から脱落しようとしている。最近の日本人旅行者が手にしているのはコンパクトなデジタルカメラ。高性能だが比較的安価なデジタルカメラに、もはやステータスなど発生しない。自分が写したいものを記録に残すという、カメラ本来の姿がそこにある。

 ヨーロッパ人が 「巨大なカメラをいくつもぶら下げる旅行者」 に奇異を感じるのはなぜか。最近の日本人が巨大なカメラを持って歩かないのはなぜか。その理由は 「旅行に適さない」 からに他ならない。 「旅行にたくさんの巨大カメラ」 というのは、 「水着を着た登山者が浮き輪を持って山頂に立つ」 のと何ら変わりないのだ。これが滑稽でないはずがない。 「カメラ=日本人」 という構図が崩れたのには大きな意義がある。つまり我々日本人は、ようやく 「高価なものを持ち歩きたい」 という一つの見栄から脱却することに成功したのだ。

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 文明開化を迎えた頃、福沢諭吉らは 「アジアから脱してヨーロッパの一員になろう」 という 「脱亜入欧論」 を唱えた。その背景にはヨーロッパ人への憧憬と、支配階級に上り詰めたいという野望、そしてヨーロッパ人に対する明かな劣等感があった。一度は東アジアを支配下に置いた日本人にとって、欧米の街々を平然と、風を切って歩くことは一つの憧れだったに違いない。同時に彼らにとって 「ヨーロッパ人に馬鹿にされるわけにはいかない」 という思いが如何に強かったか、それは今の我々にも容易に想像できるのではなかろうか。旅行先で 「高価なものを持ち歩く」 という行為は、恐らくはそんな思いの一端であったのだろう。
デジカメを手にする
日本人旅行者たち
最近の日本人観光客は、小型のデジタルカメラを持ち歩く。そこにはもはやステータスなど存在しない


 着飾るのではなく普段着を着て、何の見栄もなく、気軽に街を歩く。ヨーロッパ人と同じ気持ちでヨーロッパの街を歩く心のゆとりができたとき、もはや 「脱亜入欧」 などという馬鹿げた発想を我々は笑い飛ばすことができるだろう。もちろん、日本では中高年層のカメラ信仰が今なお続いている。それは事実だ。しかしヨーロッパで 「カメラ = 日本人」 の構図が崩れたのは、カメラ信仰のない若い日本人が、海外へ旅立つ世代になったということを示している。世代の移り変わりは、時代の移り変わり。戦後すぐの貧しかった時代から、好景気を迎え国民が裕福になり始めた時代へ、そして現在は大不況の時代。戦後、経済の浮き沈みを一通り体験し、国際的な一定の評価を得たことで、ようやく日本人旅行者は 「見栄を張らねばならない心の貧しさ」 を捨てた、いや、いま捨て始めている。日本経済、そして日本人の意識に、今また新たな時代の流れ感じる。

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 しかし新たな時代は、何も日本にだけ訪れようとしているのではない。高価なカメラを手に出来るようになった中国人こそ、実は最も大きな変化を迎えているのだ。中国の地域格差が今にちも未だ極めて大きいのは否めないにしても、経済的な力をつけ始めた中国人が徐々に、そして確実に増え続けているのは疑いようがない。それは第一次大戦以降、日本が急速に力をつけ始めた頃の姿を思い起こさせる。そんな中国を前にこれからの日本がどう歩み、どんな時代を目指すのか。不況を脱して盛り返すのも、また没落するのも、それは今を生きる全ての日本人にの肩に掛かっている。

2004.03.17 kon.T
in Heidelberg

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