「ドイツ生活・留学関連コラム」 の目次

ドイツ生活・留学関連コラム



不良客よマックに集え (FILE 03)
 一杯のコーヒーに縛られながらマクドナルド (以下 マック) に通い続ける毎日。ボクのような客単価 (*1) の極めて低い人間をこそ、店側は 「不良客」 と呼ぶのだろう。しかし不良客とは、なにもボク一人のことだけを言うのではない。マックは常に大量の不良客を抱えながら営業しているのだ。

 ところでボク以外の不良客とは、具体的にどういう人たちを言うのだろうか。既にドイツで50以上のマックを訪れたボクは、その情報に最も詳しい一人と言えるに違いない。もはや 「マック不良客名鑑」 と銘打てば軽く1冊や2冊の本が書けてしまいそうな気がさえする。そこでこの 「不良客よマックに集え」 では、中でも特に印象深い個性的な人々について紹介していくことにする。


*1 客一人が支払う金額


さて、今日のターゲットは・・・

「 苦悩するピノキオ 」

ふっ、彼女に決まりだ


- 1 -
 不良客には不良客特有の…、いや…、これを説明するのは非常に難しいのだが、浮浪者とはまた違った 「不良客のオーラ」 とでも言おうか…、それがある。だからボクは何処のマックに入ってもまずは辺りを見渡して、既に居座っている不良客のポジションを確認する。どのマックにも常連不良客はいるもので、ボクは彼らのそばに座るべきか、離れて座るのが得策か、店の雰囲気などを鑑(かんが) みて席を物色する。だからボクに限らず不良客というのは、互いに不良客であることを瞬時に見分けることが可能なのだ。

 まだ40代に手が届くか届かないか、あるいは歳を多く見積もっても40代半ばまではいってはいないであろう、その非常にスリムな独身のドイツ人女性を初めて見た時、ボクは彼女を一般客、すなわちボクのような不良客ではない、マックにとっての 「優良客」 ではないかと錯覚した。

 しかしその日ボクの隣に座っていた不良客仲間・シュナイダーとマリアは、彼女の姿を見るや否や表情を曇らせた。「 急に、ど…、どしたのぉ?!」 とボクが素っ頓狂なアクセントで尋ねると、イタリア人老婦・マリアは言った。「 あぁ…、ピノキオが来てしまった 」。ドイツ男・シュナイダーは目頭に指を当てて、「 はぁ〜 」 とため息をもらして俯 (うつむ) いた。え…、何者なんだ? いったい…。


- 2 -
 ボクがここハイデルベルク某所のマックに通うようになって、かれこれ2年と数ヵ月。まぁ、つい先月までの6ヵ月間を日本で過ごしていたので実質は2年というわけではないが。聞くとその 「 ピノキオ 」 は、どうやらボクが不在の間に顔を出し始めた不良客らしく、見覚えがないのも当然だった。取り敢えずボクと彼女は不良客同士お互いに名乗り合い、握手を交わした。

 彼女はボクを除く常連不良客らと既に面識があるらしく、シュナイダー達にピノキオを加えたグループは店内の一角で歓談をはじめた。一方のボクは一人別のテーブルを占拠し、バスの中で拾った新聞 Frankfurter Allgemein 紙を読むのに首っ引きだった。読み疲れて時折顔を上げシュナイダーたちの一団を眺めると、彼らは別に何の違和感もなくピノキオと笑い合っているように見えた。「 さっきの彼らの渋い顔は何だったのだろう 」 と不思議に思いながらも、しかしそれ以上疑問に思うことはなく、ボクはまたドイツ語の 「 お勉強 」 に埋没していった。

 2時間半くらいしてからだろうか、ピノキオは早々に帰り支度を始めた。彼女は少し離れた場所に座っているボクにも一言あいさつし、荷物をまとめて夜の闇へと消えていった。それから更に30分くらいしてからだろうか、それまでピノキオと話していた一団が、ごっそりボクの方へ移動してきた。一人寂しく勉強しているボクを気遣ってとか、ドイツ語に苦しんでいるボクに気分転換させてやろうとか、そんな気使いではない。単に話題のネタに尽きてボクを 「 遊び仲間 」 に引きずり込みに来たに過ぎなかった。

 しかし丁度ボクも未知単語の確認に疲れ始めていたところだったので、ここは一つこちらから話題を提供してやることにした。「 さっきのピノキオだけど…、もしかして困った人なの?」。シュナイダーは一瞬たじろいだが、ゆっくりと言った。「 いや…、そう言うわけではないんだが…、なぁ… 」。続けてマリアが 「 悪い人じゃぁないんだけど、彼女を見てると辛くってねぇ… 」 とまた伏せ目がちに話した。「 えぇ? 辛いってなにが?」 ボクが聞くと、マリアはさっき座っていたテーブルを指差した。

  マリアが逆に問い返してきた。「 私たちがいたテーブル、何か妙に思わなかったかい?」。えっと…、あぁそういえば…、確かに妙だったな。テーブルの上に何やらたくさん乗っていた。確かLサイズのジュースが2つ、キャラメルソースのかかった Ice-Becher (カップに入ったソフトクリーム) が5つくらい、それにアップルパイもいくつかあったような気がする。それらは 「 持込み 」 ではなく、全てマックで購入されたものだ。

 う〜ん、言われてみれば確かに妙だな。ボクの知っている不良客らが買うわけがない。ということは…、あれすべてをピノキオが買ったということになる。ボクは言った。「 あ、そうか。あのたくさんの甘いもの、ピノキオのおごりだったの? 太っ腹だねぇ! 」。シュナイダーが首を振って、「 おごりじゃない。アレ全部を彼女が食べたんだ!」。まさか! ボクは耳を疑った。「 糖尿病になっちゃうよ!」 と声を上げたボクにドイツ男・アーノルドが言った。「 彼女は重度の糖尿病患者だ 」。

 そもそもマックというところは、実は糖尿病患者の巣窟でもある。我々マック住人の、およそ5人に一人は糖尿病ではなかろうかと思えるほどの高い確率だ。もちろんマックに来ることによって糖尿病になるのではなく、糖尿病患者が家庭や施設での食事制限を逃れてやってくるのだ。そういえば、よくここで話をするフリッツをはじめ、ハイデルベルクでの不良客仲間およそ15人のうち、少なくとも4人以上が糖尿病だ。しかし本当にピノキオがあれほどの量を一人で食べたのだとしたら、それは自殺行為としか言いようがない。

 そもそも、なんで周りの人間は止めなかったんだ? いや疑問はそれだけじゃない。もしあれが日常なら、既に死んでいても不思議はない。それに彼女は見るからにスマートで、他の糖尿病患者とは明らかに違う。糖尿病発症後スグならばそれも理解できるが、どうやらそうでもなさそうだ。ここまで考えてボクは質問をぶつけると、マリアが答えた。「 いや正確には、食べてはいないんだよ、彼女は… 」 。


- 3 -
 それはこういう話だった。ピノキオは重度の糖尿病に悩みながらも、どうしても甘いものを絶つことができない。初期には我慢もできたらしいが、甘いもののことを一日中考え続け、しかもそれを食べられないという状況に彼女は発狂したそうだ。ある日とうとう苦しみに負け、アイスクリームに手を出してしまった。食べ終わって目の前に散乱するアイスの包み紙を見た時、我に返って恐怖した。

 そして真っ先に思ったのは 「 今食べたものを吐き出さなくては!」。 彼女は食べたものを洗いざらいトイレにぶちまけた。しかし一度手を出してしまうと、その欲求は更に膨れ上がってしまう。それはもっともな話だ。「このまま部屋に一人でいたら、際限なく食べ続けてしまうかもしれない」。そう思った彼女は自分の家ではなく、人目のあるレストランやカフェ、とどのつまりマックに来ることを思いついたという。

 マックでの彼女は取り敢えず知人らとの雑談に興じ我慢を続けるが、糖分が切れるギリギリの時点でレジに向かい甘いものを買い漁る。一度に全てをまとめ買いするのは、後でどれだけ食べたのかを分かりやすくし、一つ一つ際限なく買い続けることを防ぎつつ、口にする量を調節しているのだと言う。大量のアイスクリームに、アップルパイを食い散らかし、最後は1リットルのコーラで締めくくる。そして炭酸で膨張した胃を抱えてトイレに掛け込み、いま食べたもの全てを吐き出すのだ。

 もちろん、一度食べたものを吐き出すというのは楽な行為ではない。食べては吐き、飲んでは吐く。胃の中の物を無理矢理吐き出すのだから、それは耐えがた苦痛に違いない。彼女は甘いものを我慢し続けるという長時間の苦痛から逃れ、全ての苦しみを短時間に集約する道を選んだのだ。マリアが言った。「 だから彼女はピノキオなのさ 」。トイレから戻ってきた彼女の目は涙に潤み、鼻が真っ赤になってしまっているのは至極当然のことだ。ソフトクリームやコーラという見えない糸に操られ、長い鼻を真っ赤に染めるその姿は、まさに操り人形・ピノキオ以外の何者でもなかった。

 シュナイダーが静かに口を開いた。「 悪い人じゃないだが…、見てるとこっちが辛くなってくる。彼女の選んだ道は恐らく間違っている。麻薬と同じで、我慢してその呪縛を解くのが正しい道だろうさ。しかし彼女にはもはや我慢するだけの余力もない。だから我々に彼女を諭す言葉は見つからない 」。


- 4 -
 マックには様々な客が訪れる。もちろん大半は 「 食事をする 」 ことが目的な優良客に違いない。彼ら優良客の目に映る我々不良客の姿は、怠惰で考えることを放棄した、卑しい無能な輩として映っているに違いない。しかし実は傍から見ただけでは窺い知ることのできない、社会に潜む苦悩 を不良客らは一身に背負う。貧困に心身障害、文盲、老い、迫害に差別に、そして病い。不健全な身の上を抱え、健全な社会から逃れ、不健全な不良客らと共に生き、自らもまた不良客へと身をやつす。

 優れた社会保障、学ぶ者に優しい教育システム、職人の技術を大切にし、工業国でありながら食糧自給を達成する先進国・ドイツ。日本にはない、たくさんの長所を持っているこの国に、多くの人々が思いをはせる。しかしどんな社会にも短所は必ず存在する。観光客として訪れる人々には到底気付くことのできない社会の闇。それは街に巣食う浮浪者の数を見れば理解もできようが、彼らを理解するのは容易でない。

 彼らと話し、彼らの生活に溶け込み、共に生きるのもまた難しい。しかしマックに座れば下層社会の片鱗を覗き見ることができる。何しろここは、一般市民と浮浪者の共存地帯。一般市民の中でも比較的下位に列せられる者と、浮浪者の中でも比較的上位に位置される者とが、共に 「 不良客 」 というカテゴリーに身を投じて社会の苦悩を嘆く場所なのだ。

 ドイツの社会を知りたくば、人々よ、まずはマックを訪れよ。





2005.03.25 kon.T, in Heidelberg (INF)

2005.04.04 追記 in Tokio
2005.04.24 校正 in Dubai
2005.04.26 「ドイツ語とボク」 に収録
2008.05.31 改訂

「ドイツ生活・留学関連コラム」 の目次


Project DokuBoku!
Copyright (C)2003-04 kon.T & M.Fujii, All Rights Reserved.