一杯のコーヒーに縛られながらマクドナルド (以下 マック) に通い続ける毎日。ボクのような客単価 (*1) の極めて低い人間をこそ、店側は 「不良客」 と呼ぶのだろう。しかし不良客とは、なにもボク一人のことだけを言うのではない。マックは常に大量の不良客を抱えながら営業しているのだ。
ところでボク以外の不良客とは、具体的にどういう人たちを言うのだろうか。既にドイツで50以上のマックを訪れたボクは、その情報に最も詳しい一人と言えるに違いない。もはや 「マック不良客名鑑」 と銘打てば軽く1冊や2冊の本が書けてしまいそうな気がさえする。そこでこの 「不良客よマックに集え」 では、中でも特に印象深い個性的な人々について紹介していくことにする。
*1 客一人が支払う金額 |
さて、今日のターゲットは・・・
「 餓死寸前の美食家 」
ふっ、彼に決まりだ |
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彼と初めて会ったのは半年以上前になる。ボク同様、夜毎マックを訪れる知人らの紹介で、ボクは彼と知りあった。彼もまた毎晩のようにハイデルベルク市内のマックを訪れては、知人達との他愛ない会話を楽しむ。いつもの同じメンバーの輪に入っては驚き、憤り、そして笑う。彼のような未婚の、寂しい60過ぎの男にとって、マックでの会話は既に日々の楽しみの一つとなっていた。
マックには浮浪者も多いが、しかし彼はそういう人間ではない。ちゃんと家もあり、年金をもらって生活している。彼の月々の年金額はおよそ670ユーロほどと聞いたような気がする。年金額としては平均よりかなり下回るが、高齢者がひと月を過ごすには過不足のない額といえるだろう。しかも彼には父から相続した家がある分、他の一般的な高齢者と違って月々の家賃を支払う必要がない。彼の年金生活は贅沢をしない限り、比較的安定した老後と言えるに違いなかった。
ボクも彼のおしゃべりのメンバーの一人であり、これまでにもいろんな話しをしたのだが、どう考えても彼は頭の回転が少し遅い気がする。知的障害があるわけではないのだが、良く言えば穏やかな…、のんびり屋とでも言おうか。また悪く言えば、にぶい間抜け男といったところだ。しかしその間抜けっ振りも実は皮肉な滑稽さではなく、むしろユーモラスと言うべきか。彼は持ち前の明るさをもって、いつも我々を楽しませてくれるのだ。
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こう説明してみると実に普通の楽しげなオヤジなのだが、彼には奇妙な習性がある。毎月毎月、最初の1週間から10日目辺りを境に月末まで姿を見せなくなり、月始めにはまた舞い戻ってくる。もちろん人にはそれぞれに都合というものがあり、そんなことはボクがあれこれ詮索するべき問題ではない。
しかし出会って3ヵ月もすると、彼の行動がどうにも不思議に思えて仕方がなくなってきた。いつものように皆が集って話していた月半ばのある日、とうとうボクは聞いてみた。「彼は今どこにいるの?」。皆は突然押し黙り言葉を濁す。そして始めは誰だったか、一人がため息をつくとそれが伝染し、周りの皆が例外なく深いため息をついた。
い…、いったい何なんだ、この雰囲気は…?! とうとうイタリア人老婦・マリアが口を開き 「はぁ〜。シュナイダーさんよ、説明してやっておくれ」
と頭を抱えて、隣に座るドイツ男にバトンを渡した。常連客のシュナイダーは呆れ顔で、さも馬鹿馬鹿しそうに説明を始めた。話によると、とにかく彼にはとんでもない悪癖があるらしいのだ。
彼は自称 「 Feinschmecker - 美食家」 。毎月1日に年金を受け取る彼は、とにかく最初の1週間ほどでそのほとんど全ての金を使い切ってしまうらしいのだ。彼は年金を受け取るや否や毎日毎日、昼も夜もレストランに通い詰め、毎食30〜50ユーロもの金を払ってしまう。1日60ユーロは当たり前。にも関わらず彼の年金額は700ユーロ未満なのだから、1週間そこそこで全て使い果たしてしまうのも理の当然だろう。
しかし彼が真に狂っているのは、残りわずか5〜7ユーロというところまで気付かずにレストランに通い詰めてしまう点だ。つまり彼は残り20日間をたった数ユーロで食いつながねばならない。それに彼には自炊能力というものがまるでないから、レストランに行けなくなれば、あとは出来合いのものを買う以外に手がないのだ。したがって毎月後半の彼はというと、実にパンと水だけで生きねばならない結果となる。
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シュナイダーが続けて話す。「実は昨日彼に会ったよ」。日ごろから常識に富み理知的なことでボクが敬愛する不良客・マリアも、これには皮肉な笑みを浮かべて言った。「で?ちゃんと生きてたかい?」。シュナイダーが呆れたように、そして強調して答える。「聞いてくれよ…。あいつ今月はあと7枚らしい」。「えぇーっ!?そりゃ今月はまたえらく悲惨な状態じゃないか!まったくもう…」
とマリアは頭を振った。
え…? 7枚? 7枚って…、いったいなんだ? ボクはイマイチ理解できず尋ねると、それは今月の残りのパンの枚数であって、とにかくあと7切れしかないということらしいのだ。ボクは思わず声を挙げた。「それじゃ餓死してしまうよっ!で、他には何があるの?!」。ボクの問いかけにシュナイダーが
「何もないさ。あとはただ水道水と7切れのパンで半月近くを食いつなぐのさ」 と吐いて捨てるように言った。
「そりゃ大変だ!…、助けなきゃ!」 と声を上げたボクを、普段は滅多に口を開かない無愛想なドイツ人・フリッツが制した。「助けても無駄だ。ヤツは毎月同じことを繰り返して、まるで成長しない。キミが助けてやっても、彼のためになりはしない。きっとヤツの脳味噌は半分腐ってるのさ…」。彼は無表情のまま、そっけなく言った。
しかしそれでも、あと7枚というのは滅茶苦茶だ。ボクにしたって、知人の餓死なんてまっぴら御免。しかし目の前の3人には、彼を助ける気など毛頭ないようだった。ボクは少し落ち着いて、そして誰に聞かせるともなくつぶやいた。「で…、彼はどうやって暮らすんだろうか」。誰かが言った。「自分の家で何もせずにじっとしてるか…、さすがに今回は物乞いでもするかもね」。
「もっ、物乞いっ!!」。ボクは耳を疑った。ボクが物乞いをするというならともかく、ちゃんと住む家を持ち、年金までもらっている人間が物乞いするとは尋常でない。しかし確かに、毎月同じ過ちを繰り返しているのであれば、彼女らの言うように助け舟を出すべきではないのかもしれない。多少は混乱したものの、結局ボクも達観することにした。
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ようやく月末を迎え、気がつけば早くも翌月の1日になっていた。ボクは思い出したように、餓死寸前の美食家を心配した。「彼はまたマックに来られるのだろうか…」。ボクはその日も夜遅くまでマックの席を占拠していたが、とうとう彼は現れなかった。さすがにボクは不安になって翌日、「昨日も結局来なかったんだ!本当に餓死してないだろうか?!」。
隣の席についたマリアが笑って言う。「ま、昨日はようやくもらった年金でレストランに向かったんでしょうね。でも空きっ腹に入れても、体力はそう簡単に回復しないよ。だからそうね…、今日・明日は来れないんじゃないかしら。でも遅くとも明後日には顔を出すでしょうよ」。どうやら全く心配してはいないらしい。まぁ、ボクよりも彼との付き合いの長い人らが言っているんだ。心配はいらないのだろうとボクも納得することにした。
2日後マックに現れた美食家を前に、皆は普段通りに会話を楽しんでいた。美食家は過ぎ去った苦しい日々について話し、少しは反省しているようにも見えた。それでボクもようやくホッと胸を撫で下ろした。それからまたいつものように美食家はマックに通ってきていたのだが…、しかし1週間くらいしたころ、また姿を見せなくなった。
さすがのボクも少々呆れ顔でシュナイダーに尋ねた。「もしかして、また…、アレですかねぇ…」。シュナイダーが言った。「もちろん、アレさっ」。マリアがつぶやいた。「アレよ。ほんっと…、バカね」。フリッツはまるで意に介さぬ様子で新聞を読みふけっていた。
当初は、その美食家が来なくなる事を奇異に感じていたボクだが、もはや毎月10日を過ぎて彼が来なくなる事をこそ、平穏な日常と感じるようになっていた。どんな奇異なことも、それが毎度続けばもはや日常。そもそもマックに集っている我々だって、店員や他の優良客にしてみれば十分に奇異な存在に違いないのだ。だが、これが我々の日常。たくさんの奇異な現象が集ることで、かくして平凡な日常が形成される。
今日もまたマックに、日常的な奇異が集う。
2004.01.10 kon.T, in Darmstadt
2005.02.27 校正 in Heidelberg
2005.03.21 修正 in Speyer
2005.04.26 「ドイツ語とボク」 に収録
「ドイツ生活・留学関連コラム」 の目次
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