渡欧のあらすじ
ミュンヘン

はじめての海外
Rathaus 越しに Odeons pl. を望む
Peters 教会から Neue Rathaus (新市庁舎) 越しに Odeons Pl. を望む

 とにかく初めて国境を超える。大阪に下宿していた兄はともかく、家に居たボクと両親の3人にはまだ海外旅行の経験などなかった。荷物をいったい何キロまで飛行機で運べるのかよく分からず、とりあえず 「ひとつのカバンに収めさえすればOK」 という未確認情報を我々は鵜呑みにしてしまい、大変な目にあってしまった。

 山岳部出身のボクにとって重い荷物を持つのは慣れっこ。とにかくトランクに詰め込んで飛行場にさえ持って行ければいいと、ボクは荷物を詰めに詰めた。飛行場で荷物を預けるときに言われて初めてビックリ。「お客様、お荷物の方が重量オーバーですので少々追加料金をいただきますが、よろしいでしょうか?」。それは話が違う。しかしここまで来た以上、引き返すわけにもいかないので仕方なく追加額を聞くと 「15万円になります」。さすがに怯んだ。

 話によると、規則では20キロまで無料だが、おまけして25キロまで無料にしてもらったらしい。手荷物は3キロオーバーの5キロだったが大目に見て無料。残りが1キロあたり5000円で、結果が15万円ということだった。往復のチケットが15万円だから、ピッタリ倍になってしまうではないか。ボクは空港で早くも荷物を解き、一部を宅急便で家に送り返す羽目になった。それでも結局は5万円を支払い搭乗。「知らない」 とは恐ろしいことだと、このときつくづく思った。フライトの前に荷物を宅急便で家に送る奴なんて、恐らく滅多にいないだろう。

そしてミュンヘンへ・・・
Frauen教会。 この構図、30分も考えた (^^;)
ミュンヘン最大の教会Frauen 教会。 高さ約100メートルの塔には登ることも可能

 1996年22歳の冬、初めての「外国」に降り立った。ボクが飛行機の中で覚えた単語は、こんにちは、ありがとう、ごめんなさい、バームクーヘン (Guten Tag! / Entschldigung / Danke! / Baumkuchen) のわずか4つ。これと手にした6ヶ国語旅行会話集で目的地にたどり着こうというのだから恐れ入る。最初の日はタクシーでホテルに行った。チップの習慣など知らないのに、旅行ガイドにはチップを渡すこととかいてある。タクシーに乗った瞬間思った。「5マルク渡そう」。しかしついたホテル前で請求されたのは5マルク。あわせて10マルク支払ったら、それまでは仏頂ズラだった運転手が、とても 「イイ人」 に変身した。もちろんそれは当然のことだった。

 ホテルではフロント係が何やら話すがさっぱり分からない。ドイツ語を解さない外国人に対するその話があまりに長いので、ボクがたまりかねて 「ぷりーず・いんぐりっしゅ!」 と言うと、彼は困った顔で一言 「I speak English」。つまり当時のボクは彼が英語を話していることにすら気づかないほど、英語もできなかったのだ。

 結局彼には紙に書いてもらい、辞書を片手に一晩格闘することにした。しかし非常に癖のある字で判読できない。廊下にいたボーイを捕まえては一字づつ解読。何しろ 「A」 も 「B」 も 「R」 も 「日」 にしか見えないありさまだったのだから。午前3時になってもたった8行の文章が訳せず困り果て、日本語現代文読解のセオリー通り、まずは文章の最初と最後を訳してみようと考え直した。

 午前6時、ようやく理解できたのは最初の一文 「私が先ほど申しましたのは・・・」 と、最後の一文 「と私は申したのです」 だった。冗談のように聞こえるかもしれないが、これは本当の本当の事実。徹夜の甲斐は全くなかった。せっかく紙に書いてもらったにも関わらず全く理解できなかったことについて、ボクは謙虚な気持ちでフロント係に謝った (この文章を書くのに更に3時間)。しかしその努力はホテル内で認められたらしく、ボクにはあらゆるホテルマンが非常に気を使ってくれた。まさに 「人を動かすは至誠なりかな」。

ホームステイの経験
35mm レンズでこの写真を撮るのは大変だった
新市庁舎。旅行者は外から眺めるものだと思い込んでいるが、現役の市庁舎なのでもちろん中に入れる

 留学先ミュンヘンでは二軒のホームステイ先で計2ヵ月間を過ごした。本来は一軒に2ヵ月間暮らす予定だったが、ある日突然ホストマザーが亡くなってしまうというハプニングがあり、この引越しは然るべきものだった。まさかたった二ヵ月間の滞在でドイツ人の葬式に、半ば身内のような形で参列するとは思わなかった。このお宅は地下鉄の駅の目の前だったので、立地条件は非常によかった。しかし部屋は2人部屋で、部屋の中に常に誰か他人がいるというのは、正直なところ息苦しかった。やはり完全なプライベート空間は必要だと思う。よりよく勉強するために。

 最初のお宅では二人のルームメイトがいた。一人目はインドネシア人、入れ替わりに来たのがイタリア人。特に二人目のイタリア人・ダニーロ(当時30歳、一流のホテルマン、そして美形) とは今でもいい友達でいる。ドイツ語などほとんど話せなかったボクが、如何にして彼と分かり合ったか。これにはいきさつがある。

 このホストファミリーはそれほど裕福ではなかった、というより、ゲストに対しても非常にケチだった。例えば持参したノートパソコンを開いただけで文句を言われた。理由は 「電気代がもったいない」 とのことで、食事もまたお粗末だった。事実、図体の大きなダニーロにとって、この家の食事は少なすぎた。夕食後は毎晩、彼は自分で用意した食料を別途あさっていたので、そのことをボクはホストマザーに伝えることにした。 「あなたの食事に、私はとても満足している。量についても満足です。ボクはアジア人で体も比較的小さいが、しかしダニーロは大きい。彼にとって夕食の量は、恐らく十分ではないと思う。事実、彼は食後にお菓子を食べている。彼の食事をもう少し増やしてやってもらえないか」 。これに対してホストマザーは 「問題ないんだよ。彼はイタリア人。イタリア人は長い時間かかって食事をとるのが好き。だから食後も何かを口にしたくなるのさ」。

 さすがにボクは呆れた。多少腹立たしさも混じり、全てをダニーロに伝えて二人で憤慨することにした。もちろん彼はこの話に腹を立てたが彼にとってはそれより、ほとんど話せないボクが努力して伝えたという事実に感激したらしい。それからというもの彼はボクのことを少しでも理解できるよう、細心の努力を払ってくれた。彼の実家・ミラノにも招待してくれて、家族からは最大限の歓待を受けた。これは最初に泊まったホテルと同じこと。結局 「話せなくても良心は伝わるものなのだ」 とつくづく思った。

ホームステイを利用すべきか否か
 2軒目のお宅はおばあさんの一人暮らしで、しかも比較的話し好き。語学を学ぶためには非常によい環境だったと言っていいだろう。しかしボクは前のホストマザーが急死して突然引越しを余儀なくされ、しかも3日後の葬儀には必ず参列したいと、わけも分からぬまま奔走していた。それでボクは、新たな家族との重要な最初コンタクトをおろそかにしてしまった。結局最後までホストマザーの名前さえ聞き取れずに終わってしまった。今度は一人部屋で快適だったはずにも関わらず、初っ端がそんなだったからその後も非常に居辛い毎日を過ごすこととなった。

 とにかく、ドイツ語を早く上達させたいと思えば、ホームステイするのは効果的だと思う。しかし、もし全くの初歩者であるなら、最初のうちはホームステイを避けるべきだと思う。ここでボクが言う初歩者とは、日本の大学の一般教養で二年くらいドイツ語を学び、ドイツにやって来たばかりのような人。ドイツ語の聞き取りや語彙力によほどの自信があれば話は別だが、そうでもなければ時差ボケに気疲れが追い討ちをかけて、学習効率はあまり良くないと思う。日本で多少でもドイツ語を学んできたなら2ヵ月くらい、まったく習ったことがなければ半年くらいの間、語学学校が探してくれる寮などに入って一人で生活し学習するのが正しい選択ではないかと思う。
Isar門。ドイツ博物館へはこの門の傍の地下鉄駅下車
Isar (イザール)門。ドイツ博物館へはこの門の傍の地下鉄駅で下車し、徒歩5分

 語学学校の先生はみな言語教育の専門家。彼らは当然にもゆっくりと、そして相手が知っている単語のみを使って説明してくれる。しかしその彼らが授業の中で話す言葉さえ、日本人が理解するのは容易ではないのだ。まして文法など知らない一般のドイツ人家庭で、世間話の好きなおばさんや会社帰りのおじさんの話を、そう簡単に理解できるはずがない。そこでストレスを溜める前にまず一人暮しをするか、あるいは外人ばかりが住むWG (2~6人程度が一つの家を共有)か、学生寮などで耳を鳴らすべきだと思う(居住形態に関する解説は別稿参照)。われわれ日本人のドイツ語理解力は、ヨーロッパ語圏出身者と同等であるはずがないのだから。

 家庭に入れば、生活の中での禁止事項はホストファミリーが決める。不満もあるだろうし、誤解も当然起こる。逆に学生寮の場合は管理者や大家がルールを決め、そこに住む住人皆がそのルールを守ることとなる。分からなければ複数の住人に聞けばいい。賃貸者という土俵は同じ。ルールの理解に誤解が生じたところで、周りの住民とそれほど険悪にならなくても済む。普段は傍にいない管理者や大家との間に、多少の誤解や険悪な関係が生じたとしてもそれほど問題ではないのだ。しかし常に傍にいるホストファミリーと険悪になったらもう最悪。仲直りしようにも上手く言葉が出ないし、うまく聞き取れない。それは非常に辛い事だ。

 しかしドイツ語圏に来て語学力がある程度上がったなら、ホームステイすることは好ましい。語威力、文作力、聞き取り能力が格段に上達すること間違いなし。要は、いつからドイツ人家庭にお世話になるかが問題。語学学校が薦めるからといって、安易に最初から入るべきではないと思う。(ホームステイに関しては別稿も参照)

ミュンヘン総括
 このミュンヘン短期留学では、ちょっと口にできないほどの額を費やした。いまのボクなら、この2ヵ月間に使った金額で2年間ドイツで暮らせるだろう。両親には本当に感謝せざるを得ない。しかしそれを後悔しようにも、当時のボクは何も知らなかったのだから悔やみようがない。逆に言ってしまえば、どんな無知もお金さえあれば何とかなるということだ。金というものが如何に強いか身に染みた。どんな成功も、金に物を言わせてしまえば大抵は必然。いかに金をかけずに達成するか、それが重要なのだ。

 とにかくミュンヘンという街は物価が高い。居住費から授業料、食料にレストランと、もうあらゆる物が高い。安く、あるいは長期間学びたいなら物価の高い街は避けるべきではないだろうか。ちなみにボクは、二度とミュンヘンに住みたくない。ミュンヘンは日本の京都のように見るものが多く 「飽きない街」 と言えばそれは正しいのかもしれないが、見るべきものを見てしまえば余暇の少ない街でもある。ボクは在住1ヵ月で飽き飽きした。この学校の9ヵ月コースを受講していた早稲田大の J.S君は、あまりの退屈さに友人らと車を購入しようなどと話していた。資金豊富ならまだいいのだが、資金不足な人間にとっては実に住みにくい街である。ボク自身も後半は友人とビリヤードで時間を潰していた。2人部屋の圧迫された環境で勉強する苦痛にも、結構参っていたからだ。

 最初の外国としてのミュンヘンは素敵だった。しかし語学学習の街としては、ボクにとって良い街ではなかった。


2003.10.08 kon.T


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