ドイツの語学学校へ

13、教員の国籍 メニュー
 「ドイツ語を学ぶならドイツ人から学ぶに限る」。それは恐らく正しいに違いない。生のドイツ人の発音を聞き、複雑な言い回しについて、ドイツ人の意見を聞きたいと願う。それはドイツ語学習者にとって当たり前の望みだ。事実、ほとんどの語学学校の先生はドイツ人、あるいはドイツ語を母国語として持つ国々出身者で占められている。しかし学校によっては、稀に外国人教員を用いる事がある。例えば、ボクの友人 M.E はポーランド人の先生のクラスにいたことがある。その先生は、ドイツの大学でドイツ語教授法を学んだらしい。

 彼女にその先生について聞いてみると、「複雑で繊細な言い回しになるとね、先生自身も "良く分からないから今度調べておくきます" なんていうことが実は結構ある。まぁ、それは仕方ないよね」 と話していた。ボクはこの話しを聞いて 「ドイツ語教員としては問題があるのではないか?」 と素直に思った。しかし一方で彼女は 「とてもいい先生だ」 と喜んでいて、何ヵ月にもわたり自分から望んでその先生のクラスに通い続けていた。ボクは最初その理由が全く分からなかった。

 しばらくして、その学校ではDSHクラスにも、外人教師を起用している事を知った。ボクは耳を疑った。「本当にそれでいいのか!?」 と。これはあるいは、「学校側が賃金を抑えるために、質の悪い先生を起用しているのではないか」 とさえ思った。

 この疑問が解けたのは、ボクに二人目のタンデムパートナーができた時の事だった。タンデム -s Tandem とは二人乗り自転車の事で、語学学習では互いの国の言葉を学んでいるもの同士が、ペアになって話をすることをいう。早い話しが日本語を勉強している特定のドイツ人と会って、たまにおしゃべりするというわけだ。実をいうと、ボクの二人目のタンデムパートナーはドイツ人ではなく、ギリシア人だった。本来こんなタンデムはおかしいのだが、彼女はというと日本語がかなり話せる上、「私のドイツ語はパーフェクトだ」 と自賛できるほどの人だった。

 それで週に一度くらい会うようになったのだが、彼女にドイツ語文法を説明させると、非常に明快に答えてくれる。それは時にドイツ人教師より分かりやすい事がある。その理由は明快だ。例えば日本語を例に挙げてみよう。日本語での主語を伴う格助詞 「は」 と 「が」。これを読んでいるあなたは、その違いを明確に説明できるだろうか。大半の日本人にとって、それは 「日本人であるが故に」 かなり難しいはずだ。ドイツ語でも同じようなことが言える。例えば日本人が苦手とする冠詞 der die das の要不要について、細かく追求して説明する事はドイツ人にとって容易なことではない。ところが、ドイツ語を外国語として学んだ人には、案外これを簡単に説明できたりする。

 つまり外国人教師の起用は短所もある反面、ドイツ人教師には得がたい長所もあるのだ。また DSH クラスへの起用についても、実際に DSH 試験を受けた事のある人間が教えるという点で、生徒にとっては案外好感が持てたりする。

 「ドイツ語を学ぶならドイツ人から学ぶに限る」。ほとんどの語学学校には、ドイツ人教師しかいない事を考えても、それは明白だ。しかしだからといって、外人教師を一概に悪いとも言い切れない。もちろん、ほとんどの教員が外人教師だなんていう語学学校があれば、それは明かに問題だ。しかし外人教師が多少混じっている分には、逆にメリットが大きいということもある。せっかくドイツまで習いに来たにも関わらず、もし自分のクラスの先生がドイツ人でなくても、そう単純に悲観するべきではない。また、もし先生に聞いても分からない事があって悩んでいるなら、学校に外人教師が居るかどうか確認してみよう。自分の担任でなくても質問くらいはできるはずだ。もしかすると、案外簡単に悩みが解決するかもしれない。

 学校選びの際に、わざわざ外人教師の有無を確認するほどの必要はない。どこの学校に尋ねても、ほぼ間違いなく教員はドイツ人で占められているのだから。にも関わらず本稿を執筆した理由は、外人教員が居るからといって、その学校を敬遠する人が稀に居るからである。しかし敬遠する必要はないのだ。外人教師が混じっていたとしても、全ての教員が外人であるわけではないのだから。嫌ならクラス替えを申し出ればいい。生のドイツ人の授業を聞くために、わざわざ遠くアジアからやってきたのだ。そのクラス替え要求は、客観的に見ても正当に違いない。だからその要求は当然受理される可能性が高い。その事は知っておいて損はないだろう。


2004.05.14 kon.T

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