ドイツの語学学校へ

06、生徒の国籍(非ヨーロッパ言語圏生徒の割合) メニュー
 語学学校には様々な国から生徒が集る。我々はドイツ語を学ぶのであって他の言語を学ぶワケではないから、在籍する生徒らの国籍など重要ではないように思えるかも知れない。しかしこれは案外大きな問題なのだ。例えば日本人ばかりが参加するクラスを想定してみよう。この場合、教員は日本人の考え方や問題点を念頭において授業を進めるので取り上げるテーマも理解しやすく、我々の弱い所を重点的に教えてくれるに違いない。外国語の学習に自信がないならば、日本人クラスの価値は大きい。

 しかし一方ではもちろん短所もある。出題テーマが偏りすぎるとか、周りの日本人に頼ってしまいやすいなどということばかりでなく、同じ国籍ゆえに生徒からの質問内容もバラエティに欠ける。ドイツ人教師が一人いれば正しい発音は教えてもらえるだろう。しかしドイツで暮らすということは、当然にもドイツに住む他国から来た在住外国人らとも関係を持たざるを得ない。

 例えばフランス人の話すドイツ語、イタリア人の話すドイツ語、トルコ人のドイツ語、中国人の、アリカ人の、アリカ人のドイツ語などには皆それぞれに特徴があり、例え彼らが正しい文法を用いて話していてもドイツ人の言葉とは異なる。しかし日本人ばかりのクラスではこのような差に気付けないし、なにより日本人らしい発音に終始してしまいがちだ。ドイツ人の正しい発音だけでなく、いろいろな人々の発音を聞く事のは、聞き取り難いドイツ語に遭遇した時の練習になりうる。

 またこれとは逆に、特定の国籍の生徒が集るクラスに日本人が一人で参加するのも考えものだ。同じ国民が一つのクラスに恐らく4人、いや、あるいは3人とも言えるかもしれないが、このように複数人集ってしまうと、授業はどうしても彼ら主導で進められてしまいがちだ。これを避けるにはクラス替えが有効だが、そもそもその学校に同じ国民が大量に集ってしまっていたら、クラスを替えても同じ状況に苦しめられる可能性がある。

 そこで、学校内に占める 「生徒の国籍別占有率」 という数字が重要となってくる。日本で発行されている留学案内書には大抵この比率が記載されているのだが、実を言うとこの数字には疑問点がも多い。出版社は学校にアンケート形式で情報提示を求めるのだが、これはあくまで学校側の自己申告。日本人にとっての外国人像はどうしても白人が先行してしまうが、そんなこと百も承知の学校側は、できるだけ白人比率が多くなるような計算式ぶち上げて計上する。出版社側には、実際に学校に通った日本人から稀に送られてくる感想文くらいでしか実態を知るすべがないから、この情報は常に疑わしいというわけだ。


国籍がかたよる理由 (学校の理由)
 学校毎、あるいは学校の存在する都市毎の特性として、特定の国籍の生徒が集まりやすい理由と、その傾向について説明しよう。まずは学校に起因する理由だが、これは明白だ。授業料の比較的安い学校には、貧しい国の国民が集まりやすい。例えばアジアで言えばインドネシア、ベトナム、インド、タイ、パキスタンと、それに今日では一概に貧しいとは言えない中国人たちも、安手の学校に集まる傾向がある。

 またアラブ圏ではトルコ、モロッコ、チュニジア、アルジェリア、シリア、イラン、イラク。それにアフリカ諸国、例えばガーナ、カメルーン、ナイジェリア、南アフリカ共和国、ギニア、ケニア、といったところか。さらに独立した旧ソビエトの東側諸国。なかでも中国、トルコ、モロッコ、チュニジア、カメルーン、ガーナ、ベトナムあたりは、格安語学学校でかなりの割合を占める。

 反対に授業料の高い学校には、当然にも日本人やアメリカ人、西欧諸国人が集まりやすい。そしてここには、第三国の超お金持ちの子弟も含まれる。大抵のお金持ちの子弟は母国でエリート教育を受けているので、もし授業中に国際問題に発展しそうな話題が勃発しても非常に冷静に対処する場合が多い。これに対し安い語学学校の生徒は、しゃにむに反論したがったりする傾向がある。もちろん、一概には言えない。あくまで傾向である。

 では高額な授業料を取る学校がイイのかというと、手放しにそうとは言えない。例えばおなじみ Goethe Institut / ゲーテ・インスティテュート に日本人が多いのは周知の事実だ。校舎によっては日本人だらけ、というところもあるそうだ。またお金持ちの子弟や裕福な国民が多いということは、ディスカッションでもひたすら模範回答に終始する場合がある。これに対して安手の学校の生徒らは社会的苦悩を背負っていたりするので、白熱した議論に発展する可能性があり、ドイツ語の学習ばかりでなく国際情勢を知る上でも大変興味深い。

 また学校固有の事情によって偏る場合もある。それは例えば日本の例を見てもわかるように、日本の留学関連書籍で紹介されている学校には、当然にも日本人が多い。同じような留学あっせん書籍は世界中に存在し、留学希望者はこれを参考にしているから、例えばベトナムで紹介されたことのある学校にはベトナム人が大量に押し寄せる。多くの安い語学学校は第三国の留学関連書籍に紹介されているので、どうしても貧しい国の生徒が集まりやすい。別にアフリカ人やアジア人が学校にいても問題はないのだが、しかし多すぎるのは、ちと困る。


国籍がかたよる理由 (地理的理由)
 もちろん地理的な理由も大きい。例えばウィーンは古くから西欧と東欧の接点として栄えた歴史から、東欧からの語学留学生が圧倒的に多い。オーストリアはドイツよりさらに内陸にあるため、アラブ諸国からも若干遠い。従って、安手の学校でもアラブ人の占める割合は比較的低いように思われる。

 ドイツ国内はどうかというと、これも都市によって大きく左右される。例えばデュッセルドルフが日本の植民地のような街だということは、誰でも知っているだろう。とにかく日本人が多い。このように、ある国民がひとつの街に固まる傾向はドイツ国内で多々見られる。それは日本企業の多い商業都市だったり、日本人に有名な観光都市だったり理由はさまざまだ。

 街の大通りを歩いてみて、ケバブ (Dönner Kebab*1)屋が何軒も軒を並べて乱立していればトルコ人の多い街である可能性は高いし、中国食材店が近くに5軒も6軒も並んでいたら中華系移住者の多い街と言えるかもしれない。この状況は語学学校に占める生徒の国籍割合にも、如実に反映される。


日本人にとっての国籍別迷惑度
 これはあまり大っぴらに書くべきではないのかもしれないが…、日本人にとって迷惑に感じる国民というのは確かにある。ただここから先を読む上で肝に銘じてほしいのは、この説明はあくまで 「傾向」 であって、特定の国民を差別するものでもなければ、ましてやその文化を持つ特定個人を非難するものでもない。ただ、文化背景が違うばかりに日本人が戸惑いやすい、場合によっては度重なる誤解のために不快に思う可能性があるという事実のみを紹介するものである。

1、アラブ
 宗教上、文化上の面から考えても、アラブ人と分かり合うためには結構時間が必要かも知れない。実はボクにはアラブ系の友達が多くて、ドイツ人より親しかったりするのだが、彼らとの付き合いは驚きの連続だ。これを執筆している今のボクは、アラブ交友歴約4年。長いとも言えないが短いとも言えないと思う。そんなボクも、今なお彼らには突然驚かされることがある。つまりその…、文化の違いというやつに。

 アラブ人で困るのはやはり宗教。クラスでパーティーを開こうにも、あれは食べれない、酒は飲めない、今日はラマダン(断食)だ、お祈りの時間だ…と面倒が多く、計画は思うように進まない。それに一番困るのは、敬虔なイスラム信者になるほど、日本人の 「無宗教」 に異議を唱えたりすることだ。しかし勘違いしないでほしい。彼らの我々に対する疑問は非常に純粋で、「宗教的攻撃」 などと呼べるようなものではない。しかしだからこそ返答に窮してしまうのだ。例えば…

 「日本人は仏教徒かあるいは神道信者ということになっているが、実際はほとんどの人が無宗教だ。寺の坊さんだって、クリスマスにはケーキを買うし、大晦日には仏教寺院に行って鐘を突き、元旦の朝には太陽を拝んで自然崇拝し、午後には神社に行って神道信者になり、結婚式にはキリスト教の教会を使う。受験の合格祈願にはあらゆるお守りを買い集め、必要とあればアラーにもヒンズーの神々にも願うし、八百万の神も信じるし、ゾロアスター教だって OK さ。日本人は複数の宗教の信者であると同時に、無宗教とも言える。早い話が、宗教を理解できないのだ」。

などと説明してやると、彼らはきょとんとした顔で無邪気に質問する。「…え? じゃぁ空は誰が作ったんだ?」。そんなものは最初から存在していて、誰かが作ったものではないと言っても、「どうしてそんなことがわかるんだ?」 と更に詰め寄られる。仕方なく 「最初からあったという証拠がないと同様、誰かが作ったという証拠もないじゃないか」 と言うと、彼らは当たり前のように答える。「コーランは真実を語る」 と。

 もはやお手上げだ。困り果てて、「う〜ん、ボクのドイツ語レベルで宗教を語るのは難しい。せめてあと一ヵ月待ってくれ」 とボクは急場をしのぐが、彼らは忘れた頃にやってくる。「一ヵ月たった。説明してくれ…(ニッコリ)」。あちゃぁ…、と思いながら、もう少し時間稼ぎ。「いやまだ難しい。あともう3ヵ月…」。 果たしてその3ヵ月後、目をキラキラさせてやってくる。「説明できるか?」。あぁ、ボクは胃が痛い…。

 他にもアラブ系の人々が好む 「水タバコ / Wasserpfeife」 も、時には不快にさせられる。別にそれぞれの文化や習慣を否定するつもりはないが、吸っているのが麻薬だったりすると、吐き出す煙を吸うまいと努力しなければならない。それが日本人にとっての麻薬か否かは別問題。彼らにとって日常的な行為なら、こちらが何を言ったって理解してもらえやしないんだから。

 そして最も困るのは、「飢えたる者は、富める者から施しを受けてもよい」 ことになってるから、勝手に冷蔵庫のものを使われても文句は言えない。言っても理解しない。「貧乏な俺が、お前のものを使って何が悪い!」 と開き直られてしまうと、それ以上はどうしようもない。

 あと更に付け加えておくと…、アラブ系の人々で最も注意しなければならないのは、男 であるボクではなく、アジア出身の女の子だ。女性の権利が低いアラブ社会 (日本も低いけどっ!) から婦女子が留学するなんて異例のことだ。だからアラブからの留学生は99%男性。そして全てとは言わないが、大半のアラブ人は 「女好き」。とにかく、アジア女性に目がない。

 その理由は彼らの結婚年齢が極めて早いのと、イスラム社会では今にちでも3人程度の妻を娶ることができることに起因していると思われる。ボクは (取り敢えず) 男だから、その手の問題はあまり感じない。むしろボクにはアラブ系の友人がたくさんいて、彼らの親切で人情味あふれる性質を非常に快く思っている。しかしいざ自分が女の子だったらと思うと、さすがに警戒せざるを得ない。「手当たり次第」 という言葉がすんなり当てはまってしまうほど、彼らは女の子にアクセスしようと試みる。

 日本人の女の子もまた、外国にいるという状況からかガードが甘く、彫りの深い顔立ちに惹かれがち (たまにはボクにも惹かれてよ…)。自由恋愛なのだから悪く言うつもりはないが、アラブ人の子供を孕んでしまって、「とんずらされちゃった!」 という日本人留学生を、ボクは腐るほど知っている。しかもアラブ人が相手だと損害賠償請求もままならないので、アジアの女の子は泣き寝入りせざるを得ない。

 アラブの男性にはイイ奴も多い。アラブ系の友達がやたら多いボクが言うのだから、それは間違いない。しかしいざ女性問題となると一変するのがアラブ人。非常に親切で気前はいいが、彼らに 「おごらせてはダメ!」。カフェに行ってもレストランに行っても、できる限り自分で支払うよう心がけよう。それを肝に銘じよう。


2、アラブ + アフリカ
 アラブ人で更に困るのは、多数の同胞を集めてしまう点だろう。そしてこれは西アフリカ諸国の人々についても同じことが言える。例えば一つの部屋に定員は一名のはずなのに、いつの間にやら4人も5人も住んでいる。自分の部屋だけの話なら問題はないが、彼らはもちろんトイレもシャワーも使えば、キッチンも使う。共有スペースはどんどん手狭になり、我々のストレスも次第にたまる。

 ただしアフリカ黒人は、安手の学校に来ている生徒であっても母国に帰れば裕福な人々なので、経済的にケチではない。彼らが定員オーバーで寝泊りするのは経済的よりも、むしろ文化的理由だ。個人の 「プライベート領域」 をヨーロッパ人や日本人ほど必要としない彼らにとって、大勢で眠るのは当たり前。たとえ貧しくても、子供は多ければ多いほどいい。そんな考えも、今日の先進国の常識とは大きくズレている。まぁ、どちらが幸せなのかは分からないが。

 ちなみに大学の学生寮では、定員以上の人間が長期間に渡り寝起きすると追い出されることがある。しかし語学学校の寮ではあまり厳しくない。だから問題が発生する。だからストレスがたまる。だから腹が立つ。だから喧嘩にもなる。


3、中国 (台湾含む)・韓国人
 日本という国は、中国や韓国と歴史的に確執がある。それは周知の事実だ。中国とは歴史教科書問題、領土問題、南京大虐殺の検証問題など。韓国とは従軍慰安婦問題、日韓併合と強制労働・強制連行、関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件、三・一独立運動事件などなど…、日本が加害者となった多くの事件があり、これに加えて昨今では自衛隊の海外派兵など、問題は数え上げればキリがない。

 しかし実のところ多くの中・台湾・韓国人留学生らは非常におとなしくて、授業中にこの手の話題が出ても、あっさり流してしまうものだ。それはやはり生活階級に関係しているのだろう。富裕階級は基本的に穏健で冷静、中・下流階級はおしなべて攻撃的だ。しかしドイツに留学している時点で、日本人を除く大抵のアジア人は富裕層と言える。だから基本的には、われわれ日本人に害を及ぼさないどころか、むしろ日本人の良き理解者であることが多い。

 ところがこれも、ヨーロッパ出稼ぎ労働者やその子弟になると状況は一変する。また中・韓国からの若年留学生も攻撃的側面を持つ。場合によっては日本人が非難の的となって、ボクの経験上、学校内で日本人バッシングが二回、別々の学校で起こったことがある。これは非常に恐ろしい。特に彼らの怒りが集中するのは、日本人が日本史に疎い点だ。海外に出る以上は、明治以降の日本史について多少なりとも勉強しておいて損はない。


「生徒に占める国籍別占有率」 と 「学校選び」
 それぞれの国民に、それぞれの文化がある。日本人にだって文化はあり、時としてそれは他国人にとっての悩みの種となることがある。それは 「お互いさま」 なのだから、相手の文化を槍玉に非難すべきではない。しかしそれでも受け入れ難い文化があるなら、他人を非難する前に自分から逃れよう。その方法は3つある。

 まず第一に、学校側が示す国籍別占有率を参考にしよう。しかし冒頭でも書いたように、日本の書籍に載っているこの数値は常に疑わしい。そこで学校のホームページはどう書かれているか。これを参考にしよう。もし載っていなければ、自ら聞いてみるしかない。あるいはその街に出向いて、街の状況を観察してみよう。おおよその見当がつくかもしれない。、

 第二に、地理的要因を考慮する。例えば既に例に挙げた、ウィーンをはじめとするオーストリアにはアラブ系の生徒が少ない傾向にある。それとデュッセルドルフのような比較的物価の高い地域。確かに物価のミュンヘンも、若干アラブ勢力が弱いような気もするが、しかしフランクフルトは結構混じっているようだ。これはフランクフルトが国際都市だからかもしれない。その他、ドイツでも北部になるとアラブ勢力が弱まると聞いているが、残念ながらボクはこの情報についてあまり詳しくない。。

 第三には、仕方ないので 「高価な学校」 を選ぼう。これに尽きる。もちろん高価な学校にもアラブやアジアの生徒は確実にいるが、かなり上流階級、あるいは富裕層の子弟である可能性が高い。よって安い語学学校よりは質のいい生徒が集まる可能性がある。






註:**1 Dönner Kebab
 ドナー(ドネル) はトルコ語で回る、ケバブは例のあの安っぽい肉のことを指すらしいが、ボクはいつも疑問に思う。ケバブ という表記には店によって2種類存在し、Kebab と Kebap のどちらが正しいのか分からない。語尾が 「b」 となるものの方が多いように思われるが、しかし 「p」 語尾の表記も根強く多い。トルコ人の友人らにも尋ねたが、大抵の答えは 「どっちでもいい」 。しかし、こうやってホームページに記述したり、印刷物にする場合、どちらかに統一せざるを得ないではないか。さぁ、どっちが正しいんだろう。あぁ、今日も眠れない…。

メニュー

Project DokuBoku!
Copyright (C)2003-04 kon.T & M.Fujii, All Rights Reserved.