応仁の乱 [京都の荒廃] (室町時代)
原文 不計万歳期セシ花ノ都、今何ンゾ孤狼ノ伏土トナラントハ。適残ル東寺・北野サヘ灰土トナルヲ。古ニモ治乱興亡ノナラヒアリトイヘドモ、応仁ノ一変ハ仏法王法トモニ破滅シ、諸宗皆悉ク絶ハテヌルヲ不堪感歎、飯尾彦六左衛門尉、一首ノ歌ヲ詠ジケル。

汝ヤシル都ハ野辺ノ夕雲雀アカルヲ見テモ落ルナミタハ
読み はからずも、ばんさい(ばんざい)きせしはなのみやこ、いまいずくんぞ、ころうのふしどとならんとは。たまたまのこるとうじ・きたのさえ、かいどとなるを。いにしえにも、ちらんこうぼうのならいありといえども、おうにんのいっぺんは、ぶっぽうおうほうともにはめつし、しょしゅうみなことごとく、たえはてぬるをかんたんにたえず、いいおひころくざえもん(さえもん)のじょう、いっしゅのうたをえいじける。

なれやしる みやこはのべの ゆうひばり あがるをみても おつるなみだは
(汝や知る 都は野辺の夕雲雀 上がるを見ても 落つる涙は)
出展 応仁記
備考 飯尾彦六左衛門尉は細川氏の近臣、飯尾常房のこと。
入力 藤井正博 (三重県四日市市)
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