魏志倭人伝 [邪馬台国](古墳時代)
原文  倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧百余国。漢の時朝見する者あり。今、使訳通ずる所三十国。郡より倭に至るには、海岸に循ひて水行し、韓国を歴て、乍は南し乍は東し、その北岸狗邪韓国に到る七千余里。始めて一海を度る千余里、対馬国に至る。……亦南一海を渡る千余里、名づけて瀚海と曰う。一大国に至る。……亦一海を渡る千余里、末盧国に至る。四千余戸有り。……東南陸行五百里にして、伊都国に到る。……世々王あるも、皆女王国に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり。東南奴国に至る百里。……東行不弥国に至る百里。……南、投馬国に至る水行二十日。……南、邪馬壹国に至る、女王の都する所なり。水行十日陸行一月、……七万余戸ばかり。……その南に狗奴国在り、男子を王と為す。……女王に属せず。郡より女王国に至る万二千余里。……

 男子は大小となく、皆黥面文身す。古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。今、倭の水人、好みて沈没して魚蛤を補へ、文身し、亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。
 其の風俗淫ならず。男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫ふことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。 禾稲・紵麻を種ゑ、蚕桑緝績し、細紵・けんめんを出す。 其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。 兵には矛・盾・木弓を用ゐる。木弓は下を短く上を長くし、竹箭は或いは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。有無する所、タン耳・朱崖と同じ。……

 大人の敬する所を見れば、ただ手を搏ち以て跪拝に当つ。……其の俗、国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。……其の法を犯すや、軽き者は其の妻子を没し、重き者は其の門戸および宗族を没す。尊卑各々差序あり、相臣服するに足る。租賦を収むに邸閣あり。国々に市あり。有無を交易し、大倭をして之を監せしむ。女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国之を畏憚す。常に伊都国に治す。国中において刺史の如きあり。王、使いを遣わして京都・帯方郡・緒韓国に詣り、および郡の倭国に使するや、皆律に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。
 下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、あるいは蹲りあるいは跪き、両手は地に拠り、これが恭敬をなす。……

 其の国、本亦男子を以て王と為す。住まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐して年を歴たり。乃ち共に一女子を立てて王と為す。名を卑弥呼と曰ふ。鬼道を事とし、能く衆を惑はす。年已に長大なるも、夫壻無し。男弟有り、佐けて国を治む。……

 景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せむことを求む。太守劉夏、吏を遣し、将て送りて京都に詣らしむ。
 其の年十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く、「…今汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮授せしむ。…」と。
……

 卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、国中服せず。更々相誅殺し、当時千余人を殺す。また、卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王と為し、国中逐に定まる。
読み (主要な部分のみ)
 わじんはとうなんたいかいのなかにあり、さんとうによりてこくゆうをなす。もとひゃくよこく。かんのときちょうけんするものあり。いま、しやくつうずるところ30国。ぐんよりわにいたるには、かいがんにしたがいてすいこうし、かんこくをへて、あるいはなんし、あるいはとうし、そのほくがんくやかんこくにいたる7000より。はじめて1かいをわたるせんより。つしまこくにいたる。そのだいかんをくひといい、ふくをひなもりという。……またみなみ1かいをわたる1000より、なづけてかんかいという。1たいこくにいたる。……また1かいをわたる1000より、まつらこくにいたる。4000よこあり。……とうなんりくこう500りにして、いとこくにいたる。(中略)

 だんしはだいしょうとなく、みなげいめんぶんしんす。いにしえよりこのかた、そのつかいのちゅうごくにいたるや、みなみずからたいう(たいふ)としょうす。かこうしょうこうのこ、かいけいにほうぜらるるや、だんぱつぶんしんして、もってかりょうのがいをしりぞく。いま、わのすいじん、このみてちんぼつしてぎょこうをとらへ、ぶんしんし、またもってたいぎょ・すいきんをはらう。(中略)

 そのくに、もとまただんしをもっておうとなす。とどまること7,80ねん。わこくみだれ、あいこうばつしてとしをへたり。すなわちともに1じょしをたておうとなす。なをひみこという。きどうをこととし、よくしゅうをまどわす。としすでにちょうだいなるも、ふせいなし。だんていあり。たすけてくにをおさむ。……

 けいしょ2ねん6がつ、わのじょおう、たいう(たいふ)なしめらをつかわしみやこにいたり、てんしにいたりてちょうけんせんことをもとむ。たいしゅりゅうか、りをつかわし、もっておくりてきょうとにいたらしむ。
 そのとし12がつ、しょうしょしてわのじょおうにほうじていわく、「……いまなんじをもってしんぎわおうとなし、きんいんしじゅをかし、そうふうしてたいほうのたいしゅにかじゅせしむ…」と。……

 ひみこもってしす。おおいにつかをつくる。けいひゃくよぶ、じゅんそうするもの、ぬひ100よにん。さらにだんおうをたてしも、くにじゅうふくせず。こもごもあいちゅうさつし、とうじ1000よにんをころす。またひみこのそうじょいよとし13なるをたてておうとなし、くにじゅうついにさだまる。
出展 「三国志」(全65巻)のうち「魏書」東夷伝の「倭人条(わじんのじょう)」 / 3世紀に晋の陳寿(ちんじゅ)が撰した「三国志」の一部 / 一般的には『魏志』倭人伝というが、三国志「魏書」東夷伝倭人条という方が正しい / 魏書(魏志)は全30巻
備考 ・本来の原文は漢文
・「帯方」は帯方郡のこと。204年に楽浪郡の南半を割いて設置された
・「一大国」は「一支国」の誤り。壱岐を指す
・「瀚海(かんかい)」は玄海灘にあたる
・「黥面文身」顔や体に刺青を入れること
・「鬼道」は呪術
・「景初二年」は「景初三年」(239年)の誤り
・景初三年時の「天子」は明帝
・「京都」は洛陽(魏の都)のこと
・「金印紫綬」は金印とそれに付けられた紫の綬のこと。後漢の制では位に対応した印綬を授けていた。最高位は天子の「玉印黄赤綬」、以下「金印朱綬」、「金印紫綬」、「銀印青綬」と続く。金印紫綬は最高の大臣クラス
・「宗女」は一族の女の意
・「壱与」は「壹(台)与」とする説もあり
入力 寺尾蒟
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